2006年04月09日
続石(2)「弁慶が!? 古代人が!? 自然が!?」
「続き石(1)」では不思議な形をしているという事を書きましたが、今度はこの続石にまつわる話を。
見た目も不思議なこの「続石」ですが、どうしてこのようなものが、こんな山の中にあるのでしょう。そのいわれは、3つあるようです。続きを読む
2006年04月05日
続石(1) 「不思議な形の石」
観光施設「千葉家」の近くにあり、「遠野駅」からだと車で15分くらいで、車をとめた後、山道を10分ほど登った所にあります。
いろんなものに逸話があるというのが遠野のおもしろいところですが、特にこの「続石」にはいくつものまつわる話があり、少しミステリアスな場所でもあります。続きを読む
2006年03月31日
2006年03月12日
2006年03月10日
ふるさと村(1) 「遠野の昔の風景」
遠野でも特にのどかな所で、のんびりと時間が過ぎます。
「遠野駅」から車で15分、特に迷う道もなく着くことができます。
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2006年01月31日
道の駅「遠野“風の丘”」
地場産品やお土産売り場があり、特に菓子類のお土産は豊富です。遠野の中でも品揃えがいいのではないでしょか。
遠野名物「あけがらす」も、数種類揃っていたり、他のもいろいろ置いてあったりで食べてみたいものがたくさんありました。あと、試食もわりと楽しめます。
お食事何処もあり、ジンギスカンとかが食べれるようです。外にデッキがあり、天気のいい日はおそらくそこで食事ができるのでしょう!?
観光案内をしてくれる案内所も中にあり、気軽に道を尋ねてみたら丁寧に教えてくれました。
それよりももっと目に付くのが、ここ“風の丘”名物!?の白い風車。近くにくれば必ず目に留まるものです。プロペラが一つしか付いてないので、止まっている時に見るとなんだか風車に見えません。
でも、風が吹くと勢い良く回っていて、真下に立つとビュンビュン音がします。
2005年12月25日
大慈寺 「遠野南部の菩提寺」
『大慈寺(だいじじ)』は、遠野市大工町(だいくちょう)にあります。
遠野で慕われた女の殿様「清心尼」の墓があった寺、また「五百羅漢」を彫った19代・義山(ぎざん)和尚の寺です。

遠野南部家の菩提寺(ぼだいじ)(※家代々の墓をおく寺)である大慈寺。
1411年(応永18年)、龍伝恵全(けいぜん)和尚が八戸(青森県)に開き、南部直栄の遠野移封に従い1627年(寛永4年)に遠野市松崎町駒木(こまぎ)へ移ります。
それから松崎町光興寺(こうこうじ)へ移り、そして現在地の大工町(だいくちょう)へ1658〜61年(万治)に移ります。
現在の大慈寺は1924年(大正12年)に再建されたものだそうで、二度、1724年(享保9)年と1923(大正12)年に全焼しているのだそうです。
鍋倉城二の丸跡に現在ある南部歴代の墓が以前はここにあり、1973年(昭和48年)に移ったといいます。そして光興寺の時に葬られた「清心尼の墓」は、寺が移った跡もそのままの場所に今も置かれています。

南部家とは、遠野へやってくる以前から関わりを持つ大慈寺。そしてこの寺の義山和尚は、遠野の人々の苦境を嘆(なげ)き五百羅漢像を彫り続けた。遠野の歴史と深く結びついているこのお寺、墓石に囲まれ静かに今の遠野を見守っているのでしょう。
遠野で慕われた女の殿様「清心尼」の墓があった寺、また「五百羅漢」を彫った19代・義山(ぎざん)和尚の寺です。
遠野南部家の菩提寺(ぼだいじ)(※家代々の墓をおく寺)である大慈寺。
それから松崎町光興寺(こうこうじ)へ移り、そして現在地の大工町(だいくちょう)へ1658〜61年(万治)に移ります。
現在の大慈寺は1924年(大正12年)に再建されたものだそうで、二度、1724年(享保9)年と1923(大正12)年に全焼しているのだそうです。
南部家とは、遠野へやってくる以前から関わりを持つ大慈寺。そしてこの寺の義山和尚は、遠野の人々の苦境を嘆(なげ)き五百羅漢像を彫り続けた。遠野の歴史と深く結びついているこのお寺、墓石に囲まれ静かに今の遠野を見守っているのでしょう。
2005年12月21日
遠野と鈴
ある遠野での朝、散歩をしていると鈴の音が聞こえてきました。鈴はシャラシャラと、高らかに良く響きます。見ると、小学生の女の子が元気良く走りながら登校しているところで、背負ったランドセルの脇にはしっかりと鈴が結びつけられていました。
この子が、何の飾りもないただの鈴を自ら好んで付けたとは思えず、なぜなのだろうとちょっと不思議に思いました。考えてみると、ここは周りを全て険しい山々に囲まれた遠野、そして揺れる度に鳴っている鈴。
聞いてみると、やはり『熊』よけなのだそうです。もしかしたらとは思いましたが、本当にそうだとは驚きました。そのために学校から配られた物だといいます。
防犯ベルを付けた小学生は見た事があっても、熊よけの鈴を付けた小学生というのは、遠野に来てから初めて見ました。
遠野の中心街での話ですので、ここで熊が出没する事などはまずないはずですが、一応、警戒対象の一つとして熊があるようです。
遠野を色々細かくめぐろうとすると、どうしても、少し山に入った所へ行く事が多くなります。そういう時、どうしても気になってしまうのが、その『熊』です。出ないだろうかと気になってしまうのです。
遠野の中心街からはずれ、数十分車で走り、そしてたどり着いた所などはしーんと静まり返った場所である事が多く、自分の足音以外には草木の揺れる音しか聞こえない、そんな中でふと、その事を思い出してしまいます。
時々、道が分からず遠野の人に尋ねるた時などは、いつも皆快く、とても親切に教えてくれます。どうしても気になるので、ついでに、「そこ、熊は出ませんよね…」と聞くと、「…なんとも言えない」と言われる事も…。おそらく、出ないだろうけど言い切れはしないという感じでしょう。
熊は前足の方が短いから、前のめりは走りずらく、下り坂が遅いと教えてもらった事もありますが、100mを7秒ぐらいで走るというのを、何処かで聞いたことがある熊での話です、解消はされませんでした。
何か音の出るものを身に付けるといいそうですが、それはまさに『鈴』なのでしょう。
そういえば、山際で何か作業をしていた遠野の人が、腰に鈴を付けていたのを以前見たことがありました。
神社なども多く、お参りの鈴を鳴らす事も多いでしょうが、周りを山々に囲まれ、そして大自然に囲まれている遠野では、鈴の音を聞く事は殊に多しなのでしょう。
この子が、何の飾りもないただの鈴を自ら好んで付けたとは思えず、なぜなのだろうとちょっと不思議に思いました。考えてみると、ここは周りを全て険しい山々に囲まれた遠野、そして揺れる度に鳴っている鈴。
聞いてみると、やはり『熊』よけなのだそうです。もしかしたらとは思いましたが、本当にそうだとは驚きました。そのために学校から配られた物だといいます。防犯ベルを付けた小学生は見た事があっても、熊よけの鈴を付けた小学生というのは、遠野に来てから初めて見ました。
遠野の中心街での話ですので、ここで熊が出没する事などはまずないはずですが、一応、警戒対象の一つとして熊があるようです。
遠野を色々細かくめぐろうとすると、どうしても、少し山に入った所へ行く事が多くなります。そういう時、どうしても気になってしまうのが、その『熊』です。出ないだろうかと気になってしまうのです。
遠野の中心街からはずれ、数十分車で走り、そしてたどり着いた所などはしーんと静まり返った場所である事が多く、自分の足音以外には草木の揺れる音しか聞こえない、そんな中でふと、その事を思い出してしまいます。
時々、道が分からず遠野の人に尋ねるた時などは、いつも皆快く、とても親切に教えてくれます。どうしても気になるので、ついでに、「そこ、熊は出ませんよね…」と聞くと、「…なんとも言えない」と言われる事も…。おそらく、出ないだろうけど言い切れはしないという感じでしょう。
熊は前足の方が短いから、前のめりは走りずらく、下り坂が遅いと教えてもらった事もありますが、100mを7秒ぐらいで走るというのを、何処かで聞いたことがある熊での話です、解消はされませんでした。
何か音の出るものを身に付けるといいそうですが、それはまさに『鈴』なのでしょう。
そういえば、山際で何か作業をしていた遠野の人が、腰に鈴を付けていたのを以前見たことがありました。
神社なども多く、お参りの鈴を鳴らす事も多いでしょうが、周りを山々に囲まれ、そして大自然に囲まれている遠野では、鈴の音を聞く事は殊に多しなのでしょう。
2005年12月18日
キツネの関所
「遠野」にはキツネ話が数多くあり、様々な話に登場します。「キツネといえば…」、というように、やはりどの話も人間であったり他の動物などに変化(へんげ)します。そして大抵は人を化かします。
「遠野」だけではなく、何処においても「キツネ」というのは、変化して人間を化かす生き物の象徴として使われているように思えます。ここではそれ以外にも、霊力を持った生き物として話されているものもいくつかあったりもします。



