2005年11月07日

角助の墓 「しし踊りの振り付け師」



角助 墓


江戸時代、京都で見たしし踊りを遠野郷に
持ち込んだ舞い手という「角助」(かくすけ)(〜1775)の墓です。


角助 しし
しし踊り(遠野まつりにて)


「覚助」(かくすけ)が伝えた、また、「東山五書」が伝えた、
という説もあるようです。


角助 祠
墓の横にある祠
posted by とぽ at 08:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 【石碑・石 めぐり】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月01日

清心尼公の碑 「女の殿様」

M 太郎カッパ遠野駅」から車で5分。


道端に車を停め
歩いて民家の間(民家の庭!?)を通って少し行くと、
「清心尼の碑」があります。

清心尼公1



 「清心尼」は八戸南部領主第19代・直栄の娘で名は「祢々」(ねね)。父が男子を得なかったため、その弟の直政と結婚し、直政は八戸南部領主第20代となります。
 その後、病弱であった直政と後を継ぐはずだった久松に先立たれ、未亡人となってしまいます。
 29歳で第21代の領主となり、1627年(寛永4年)3月、乱れていた遠野郷の治安回復のため、盛岡南部から領地の移動を申し付けられて、その時治めていた八戸から「遠野郷最初の殿様」、女の殿様としてこの地へやってきます。
 遠野南部と称し、女らしからぬ見事な政治力と才量を発揮したそうです。


清心尼公2



 1644年(正保元年)6月4日、59歳で亡くなりました。
家臣や領民が「清い心と公正な人」という意味で「清心様」と尊敬をもって呼んだのものを、後に「清心尼」と家系図に記入したそうです。
 大慈寺(だいじじ)(現在・大工町にある)がこの光興寺(地名)にあった時に葬られ、大慈寺が他へ移った後もここに残されて、側に「清心尼公碑」が建てられたものだそうです。



 手前の赤い字のが「清心尼の碑」で、柵に囲まれているのが葬られている場所です。
 一度見ておこうと思い来たのですが、けっこう、遠野の歴史上重要なものなのですね。
 コケがちょっと気になりますが、まだ新しい菊が添えてあったりして、いまだに「清心尼」は慕われているのでしょうね。
posted by とぽ at 19:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 【石碑・石 めぐり】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

遠野市立博物館「遠野を知る」

M 多賀神社遠野駅」から見える直線の突き当たりの所
にある「遠野市立博物館」。
駅から車で1分。
入館料は一般310円。
表は図書館になっていて、初め間違えて入ってしまいました…
「博物館」の入り口は、坂から回った裏にあります。


博物館



遠野について、とてもわかり易く説明や展示がされている博物館で、上映ものや展示物をちゃんと見ると、遠野の『昔話』や『遠野物語』の世界を知る良いきっかけになるので、時間をとってゆっくり見るといいと思います。
僕は以前に来た時、さっさと見終えてしまいました。遠野に興味を持ってからもう一度来て、見直してみると、基本的な事を知るのにこんなにいい場所があったんだなぁ…と思いました。


おしらジオラマ2階のスクリーンでは昔話の「郭公と時鳥(かっこうとほととぎす)」・「きつねの恩返し」・「まよいが」が定時上映(約25分間)されていて、語り部の声で聞けるものもあり、ぜひ、見たほうがいいでしょう。
1階にある人形を使った劇の「おしらさま」(6分)は特に良くできていて、必見です!
かなりの力作のようで、きっと見始めたら最後まで見てしまうと思います。


遠野物語についての展示物も豊富で、『遠野物語』初版350部の第1号や原稿などもあり、貴重なものが多く置かれています。
どれも興味深い物で、思わず見入ってしいます。




有料施設を回るのに、「共通券」があります。

チケット

フリーパスではなくて、回数券です。
9ヵ所のうち好きな5ヵ所を見れます。
日帰りではちょっと大変ですが、時間がある観光の時や
近々また来る人は「3ヶ月間有効」なので、便利だと思います。

破けてしまわないように注意…
posted by とぽ at 10:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 【観光施設 めぐり】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

多賀神社

M 多賀神社遠野駅から車で3分、新町にある「多賀神社」。
鍋倉公園の西側にあります。


多賀 階段


鳥居をくぐり、階段を登ると「多賀神社」があります。
「鍋倉城」西方の戦乱や災いをしずめ、
平安を守るために建立され、
遠野地方最古のものだそうです。


多賀 本堂


1647年(正保4年)に南部直栄(遠野南部氏21大藩主)、
1688年(元禄元年)に善論がそれぞれ再興し、
後に1901年(明治34年)に
遠野町の有志により再建されたものだそうです。

シンプルな造りの神社です。


階段の両脇にある杉の木の片方には、
なんか奇妙なものが…

多賀 木

キツツキが顔を出しているように見えます。
狛犬(こまいぬ)の役目を果たしているのでしょうか…



よく絵を描く老人が、ある朝ここを通ると大きな下駄が落ちていた。
狐だとわかって「筆だったらなぁ」と言うとたちまち筆になった。
またある朝通ると、社前の老松が大きな立派な筆になっていたという。


『遠野物語捨遺』にそんな話があります。




多賀神社 3つのお堂

境内には、他に3つのちいさな祠(ほこら)もあります。



そして、来た道とは別の、下り坂を少し行くと
もう一つ、「熊王稲荷神社」というのがありました。

熊王稲荷神社

こじんまりとしてますが、鳥居、石階段、石垣とそろい、
なかなか立派です。

熊王稲荷神社  お堂







絵葉書を出す!!

はがき 表遠野に来た記念に、切手とか絵葉書とかがないかと『遠野郵便局』を訪ねてみました。
「切手はないけど、こういうのがあります。」と見せられたのが、よく見るかっぱの絵が描いてあるはがき(!?)。
すでに切手が張ってあって、120円(確か!?)。
硬い厚紙でいびつな形なのでほんとに送れるの?と一瞬思いました。

はがき 裏ここで出せば「遠野」の消印が入るから、その場で自分宛に。裏は真っ白で、いろんな事がたくさん書けそうです。
とりあえず「遠野にて」とは書いたけれども、後が続かずにその一言だけ…
そう思ったら、初めに住所を書くのを忘れ、送り主みたいになるけど下に自分の住所。そして提出。

はがき 消印届いたはがきには、ちゃんと「遠野」と消印が入っていて、とても良い記念になりました。角がちょっと折れてたけど…

なんとなく小さく見えますが、実際は「軍手」ぐらいの大きさです。


ついでに
国内郵便料金、定形外郵便物(定形は14〜23.5cm×9〜12cm内)で50gまでのものは120円。
posted by とぽ at 10:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 【記念に】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月29日

遠野美景選「秋」−2

紅葉

「もみじ」



りんご

「りんご」



だいこん

「であご(だいこん)」



木

「なんかの木」
posted by とぽ at 21:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 【遠野 美景選 「秋」】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

山口の水車 「昔の風景」

M でんでら野遠野駅から車で15分の所にある「山口の水車」。
民家の片隅に、ポツリと水車があります。



山口水車1




山口水車5

ヒエ・アワなど脱穀や製粉のために
使われていた水車だそうです。

水車(水輪)の下の方に水がかかる
「下掛水車」というタイプみたいです。




この日は流れ込む小川の水量が多かったみたいで
水車が勢い良く回っていました!
でも、写真ほどは回ってません。

山口水車3


中も見る事ができて、
のぞいて見ると歯車などが見れます。

山口水車4


小さな水車小屋で、「眺める事に趣を感じる」という場所です。
きっと昔はこのような風景が、もっとたくさん見れたのでしょう…

この水車も「遠野」の貴重な風景の1つだと思えます。











デンデラ野 「静寂な野」

M でんでら野「でんでら野」までは「遠野駅」から車で15分。
人通りのない道で車を停めてすぐ。
近くの「山口の水車」・「ダンノハナ」・
「佐々木喜善生家(眺めるだけ)」も一緒に。




デンデラ 棒


蓮台野(れんだいの)とも言います。「墓地」という意味を持つ「蓮台」。今はデンデラ野と呼ばれています。

昔、60歳を超えた老人を、
このデンデラ野に追いやる習慣があったそうです。
追いやられた人たちは、ただ死んでしまうのではなく、
日中は里へ降りて農作をして、夕方にここへ戻って来ていた
という所です。

朝に農作に行く事を「ハカダチ」と言い、
夕に帰る事を「ハカアガリ」と言うそうです。



デンデラ 橋から

行く途中、山口川に架かる小さな橋があります。
奥に見えるのがデンデラ野と呼ばれる所です。



デンデラ 橋像

橋にはこのようなものが。
姨捨て(おばすて)の地、デンデラ野を象徴しています…
川を渡るこのような光景があったのでしょうか。



デンデラ 坂道

この坂道を登るとデンデラ野が広がります。
「ハカダチ」、「ハカアガリ」。
この坂道を通っていたのかもしれません…



夏の風景          冬の風景
デンデラ 夏デンデラ 冬






この地から人骨は発見されていないそうなので、亡くなってから
丘の向こうの「ダンノハナ」に埋葬し直したのではないかと
言われているようです。



また、
このデンデラ野は、亡くなった
村人の魂が通っていく場所
とも言われているのだそうです。

夜中に、
それが男なら、馬の鳴輪(なるわ)の音や
山歌を歌う声。
女なら、生前歌っていた歌を小声で歌ったり、
すすり泣きをしたり、
高らかに話し声をさせたりして
通ったといいます。




この場所に立ち、丘の方を眺めながらそんな事を考える。
それが、このデンデラ野なのでしょう。

形としては何も残っていません。
刺さった棒が2本、ベンチ、簡単な説明書き。
静寂な場所で、あまり長いする気にはなりません。




熊中位遠野では基本のようです。
「遠野市HP“熊の出没注意報”」を見て
驚きました…

クマ出没情報を見てみて下さい…

遠野駅・3 「夜の駅前」

遠野駅前は夜になると、静かになります。
特に見どころも見当たりません。



駅 夜かっぱ

「夜の広場のカッパ」




駅 夜

「遠野駅」




駅 夜 通り

「駅前通り」




夜 駅 穀町

「穀町通り」

遠野駅・2 「河童を探す」

遠野駅前には、いろんな所にカッパがいます。

広場のカッパ池にいる4匹はすぐ目に入りますが、なかには知らずに見逃してしまうものもあります。




駅を出て、右に歩くと
ポストの上には木彫りのカッパ


駅 ポスト

珍しいポスト




そのまま歩くとバス停の側に
木彫りのカッパ


駅 木彫り

「近江」という方の作品のようで、
横の土産屋でこれの小物などを売ってます。




そのまま歩くと
交番もカッパ


駅 交番

なんでウィンクを…




振り向くと
屋根の上にもカッパ


駅 屋根かっぱ

遠くから見つけ、「…まさか」と思い近づくと、
やはり居ました。




歩き続けると
カッパの足跡が


駅 足跡1

まだ新しい足跡みたいです。
まだ近くにいるかも…


駅 足跡2

どこに行ったのだろう…

『遠野物語』に出てくる「河童の足跡」は、
9cm弱で親指が離れていて、
人の手の跡によく似ているそうです。
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。