2006年09月04日

母也明神(1) 「いけにえにされた婿」

bonari 1.JPG


  遠野市松崎町松崎にある「母也明神」(ぼなりみょうじん)。
  この祠(ほこら)に祀られているのは、ここに住んでいた、ある巫女だという。その娘の婿(むこ)が、この巫女によって人柱とされてしまう。そんな話が、この場所には残っているというのです。

0 母也明神.jpg  「母也明神」までは「遠野駅」から車で10分。

  この前をゆっくり走ってれいば、ちょっとした説明書きを見つけると思います。そこから入ります。








昔、この松崎に
一人娘をもつ巫女(みこ)がいた。

その巫女は、娘のためにもらった婿(むこ)を、
どうしても気に入ることができず、
なんとかならないかと思っていたそうだ。
でも娘と婿、夫婦の仲は良かったため、どうにもできずにいたという。



その頃の猿ヵ石川は、
毎年洪水で井堰(いせき)が崩壊し、
村中を困らせていた。

それを村人たちに相談された巫女は、
この機会だと思いつき
「明日の朝、村を通る白馬に乗った白装束の者を捕らえ、
井堰の主として沈め、
人柱(ひとばしら)にすればよい」 と告げる。



翌朝、巫女は何も知らない婿を白装束で白馬に乗せ、
隣り村へと使いに行かせた。

村を通るその姿を見た村人たちに捕まり、
「井堰の主になってくれ」 と頼また婿は
「神さまのお告げであるならば仕方がない」 と言って承知した。

それを知った娘が白装束で現れ、
「人柱は男女のいけにえが揃わなければならないのだ」 と言って
一緒に川底へ沈んでいった。



その後、
大雨が続き、ようやく水の引いた淵には、
大きな2つの岩が現れた。

これを足場に築いた井堰は
壊れることがなかったと言う。



娘まで失ってしまった母親の巫女は、
自分の浅はかさに気付き、そこで娘を追って沈んだ。




村人たちはその夫婦をそこの井堰に、
堰神(せきがみ)さまとして崇めた。
母親の巫女の屋敷跡には、巫女の霊を祀り祠が建てられた。
これが母也明神である。

母の巫女を母也明神として、今でも崇めているという。





  こんなかんじの話がここには残っています。
  「人柱」(ひとばしら)とは、わかりやすく言うと「いけにえ」。最大の「供物」とも言える「人の命」を神さまに捧げることで、願いを受け入れて貰うというものです。

  「人身御供」(ひとみごくう)という神に人体を捧げるという意味の言葉がありますが、これはただ単に願いを叶えてもらうというもの。
  でも「人柱」というのは、いけにえになった人の「生命力」みたいなものが姿を変え、その「一部分」となってそこを守るというものです。 この「母也明神」の場合は「井堰の土台岩」となってここを守っています。
  この話のように、そのものになってそこを守る、「守護神」となるのです。

  こういった話は「人柱伝説」と呼ばれていて、全国にもいろいろあるようでうす。城の大黒柱として人柱を立てたとか、大雨で流されてしまう橋の橋脚に人柱を立てた話とか。
  他にもありますが、どれもその後は安泰になったという話ばかり。それほど「人柱」は強い力を持っているようです。 残酷な話だとは思いますが…



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